【航空機事故紹介】JAS 451便 花巻空港 着陸失敗炎上

過去事例に学ぶ

みなさんこんにちは👨‍✈️GOROです。

今回は航空事故のご紹介です。

事故にあった乗員乗客は77名

1993年4月18日、日本エアシステム451便のDC−9は名古屋空港発、花巻空港行きの定期便でした。

451便は乗員乗客合わせて77名をのせて、午前11時47分に離陸し、花巻空港へ向けて飛行を開始しました。

この便の担当は機長と副操縦士の2名で、機長はDC9型機だけでも8年以上の経験を持つベテラン機長、一方、副操縦士は経験がまだ5か月という新人のパイロット、という組み合わせでした。

451便は、出発してから1時間後、花巻空港で炎上してしまいます。

いったい何があったのでしょうか??

事故の原因

原因その1 ウィンドシア

花巻空港は西を奥羽山脈、東を北上高地に挟まれた、南北に細長い北上盆地の中にあります。

その地形的な特徴のため、特に西風が強く吹いた時には着陸できないほど気流が悪くなる空港で、パイロットの中には日本で最も気流の悪い空港と言う人もいます。

事故当日は北海道を発達した低気圧が東に進む気圧配置で、午前9時ごろに花巻空港を寒冷前線が通過しました。

それ以降、風が急速に強まり、風速の変動が激しく、つまり、乱気流が強い状態になっていました。

フライトレコーダーの解析では着陸寸前、20kt以上の風の急な変化があったことがわかりました。

これはICAO、国際民間航空機関の分類で強度のウィンドシアに該当する危険な状態でした。

着陸寸前に強烈なウィンドシアに遭遇した451便は揚力を失い、滑走路に落ちるようにして激突してしまったのです。

しかし、予想されるウィンドシアに対して2人のパイロット間で話し合われる様子はボイスレコーダーには残っていませんでした。事故報告書によれば、ウィンドシアに対する警戒心が希釈だったと結論づけています。

理由その2 守られなかったルール

実は、JASの社内規定ではこの機長と副操縦士の組み合わせでは、副操縦士が離着陸をするのは禁止されていたのです。

JASの社内規定では、副操縦士は昇格してから6ヶ月の間は、離着陸できるのは機長が教官か試験官のパイロットである場合に限定されていました。

今回の副操縦士は昇格してから5ヶ月で機長は教官や試験官ではありませんでした。

つまり副操縦士に離着陸を担当させてはいけなかったのです。

もちろんもしルール通りに機長が操縦していたら事故が起きなかったとは断言できませんが、事故が起きなかった可能性は高かったでしょう。

しかし、機長のルール違反はこれだけにとどまらなかったのです。

続きはこちらの動画でお楽しみください。

では、また👨‍✈️

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